はまなす旅行記

将来は老人ホームを脱走しても旅に出るジジイでありたい

2021年-そうだ 恐山、行こう① 「高校生だった自分へ」-

 

20歳から社会に出て初っ端から己の甘さを実感した。

なかでも俺が1番最初に就職した店でオーナーに言われた今でも忘れられない一言がある。

 

俺の初任給は12万弱だった。

12時間労働、月6日休みで12万弱だった。

その給料明細を貰う時にオーナーに言われた

 

「掃除しか出来ないお前が貰う金額と5年やってるアイツと5000円しか違わないよ。」

 

 

恐らくオーナーは

「仕事出来ないお前にそれだけやってるんだから早く1人前になってね♡」

と伝えたかったんだろうが、この時代もはやそんな意味で受け取りはしない。

俺は即辞めた。

 

 

24歳の時初めて海外へ行った。

沢木耕太郎深夜特急を読んでいたから香港に行った。

「賢明さなど犬に喰わせろ」

衝撃的なフレーズだった。

俺の中の書籍三大フレーズ

 

「賢明さなど犬にでも喰わせろ」

 

「お前は今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」

 

「死んだ犬は犬じゃない。犬の形をした肉だ」

 

マカオでカジノに行ったが、俺は賢明さを犬に食わすことは出来なかった。

 

25歳の時にめっちゃニートをした。

俺が悪いとこもあるが、あの時結婚しなくて良かったと思っている。

 

28歳の時に美容師を辞めた。

辞めるタイミングがあと1ヶ月遅ければ俺は国から100万貰えてた。

 

29歳と330日くらいの時に俺は20代を振り返った。

正着手では無かったかも知れないが、俺の選択に間違いは無かったと、充実した20代を歩めたと俺は思えた。

 

そんな20代も終わりを迎えようとしているからこそ何かやり残したことが無いか考えた結果2つ出てきた。

 

1つは四国。ただこの時期なので自重。

 

もうひとつが俺が高校生の時にみたまとめサイトの記事で

「存命中の友達をイタコに口寄せしてもらったwww」

みたいなタイトルだったと思うが、要は青森の恐山まで行って生きてる友達を死んだ体にしてイタコに憑依してもらおうって内容だった。

 

当時の俺は爆笑した

 

スレタイだけで面白かったが、内容も面白かった。

 

あの時は恐山に行こうとも思えないくらい青森県が遠い存在だったが、今の俺には十分行動範囲内だし

20代最後の旅行先は恐山に決めたのだった。

 

 

 

 

続く